あなたは労働が好きですか?
労働は良いですよね!実に尊い行いです。仲間と共に汗水たらして働き、世の中に価値を提供するという充実感と達成感はたまりませんよね!
仕事を一生懸命行えば能力アップも見込めますし、大規模なプロジェクトであれば個人では到底達成できないような大きな成果を得られますし、評価されれば承認欲求も満たされますし、自己実現にもつながります。
労働、最高!!
では、ここで一つ質問です。
※これ以降は、仕事に金銭面以外のやりがいや生きがいを感じている方にとっては不愉快な話となり得ますので、「仕事を続ける」を選んだ場合はお読みにならないことをお勧めします。
仕事とは提供する労働力の対価としてお金を得る行為
労働、つまり仕事に対してどのような価値観を持っているかは個人の自由ですが、労働に対する経済学的な定義としては、労働により提供する価値に見合った対価として報酬(お金)が与えられるという交換行為となります。
つまり、経済学的に見れば労働はその対価として賃金を得るための行いです。
従って、高度な専門性を持ち、他の人が出来ないような高い価値を持つアウトプットを出せる人(例えば医者)に対しては高い報酬が払われ、誰でもできること(例えばバイト)に対しては安い報酬が払われます。
資本主義的に考えれば、世の中に価値を提供することが労働の本質であり、その労働力により提供された価値の評価は収入(報酬)で決まるということです。
労働を行うことにより自己実現や達成感が得られることもありますが、これらは労働以外でも得られることであるため、労働の本質ではないと言えます。
労働者の価値はいくら?
労働の価値が収入に置き換えられるということを説明しましたが、これはキャッシュフロー(即ち収入)の観点のみによるものです。つまり、ここまでの説明では「労働力」と「賃金」の交換関係をみてきました。
ここからは、労働力を持つ「労働者」としての金銭的価値について言及します。
金融資本と人的資本
労働者は、一般的に「金融資本」と「人的資本」とを持っています。
金融資本はわかりやすいですよね?貯金や投資資産のような金融資産のことです。
では、人的資本とはどういったものでしょうか?それは、労働市場での自分の金銭的価値のことです。
例えば、年収500万円の人は、500万円を稼ぎだす力(価値)を持っています。金融資本を金融市場に投資すると5%の利回りが得られるとすると、金融資本で500万円を稼ぎ出すには1億円必要です。
つまり、年収500万円の労働者の稼ぐ力の価値、即ち人的資本は金融資本1億円に相当します。
しかし、労働者には定年があるため、働ける期間は限られております。一方、金融資本1億円は毎年500万円を生み出してくれます。従って、仮に年収500万円で固定とすると、年が経つにつれてこの1億円の価値が目減りしていきます。この経年劣化を意味する割引率を掛けた値が実際の人的資本ですが、ここではややこしいので年収500万円の人の人的資本は1億円としましょう。これが、年収500万円の労働者の金銭的価値です。
逆に言うと、1億円を持っていてそれを年利5%で回せれば、働かずとも労働力の価値分の金銭(年収500万円)を1億円の金融資本が生み出せるということです。
このことからわかることは、若いうちからせっせと人的資本を労働市場に投入することでなるべく多くの余剰資金を稼ぎ出し、それを金融資本に変換し、金融市場に投資することで自分の代わりにお金を稼いでもらえるようにしていけば、やがて労働をせずとも暮らしていける経済的自由を手に入れられるということです。
株で得られる配当は労働力のお裾分け
金融資本の投資先として株を購入するとしましょう。
株の購入とはその企業の所有権を得ることであり、それはそこで働く人たちの労働力を購入することと同義です。その購入した労働力の生み出した利益の一部を配当という形で還元してもらうということが、株式を購入する意味であり本質です。
昨今ではデイトレーディングが流行っておりこのような観点を蔑ろにした株券の短期売買が多いですが、この本質は昔も今も変わりません。
資本家は、会社の所有権である株券を購入し、その所有権の割合に対する労働力から生まれた利益の対価を得て、更なる富を築くのです。
つまり、株式への投資はその企業への投資であり、その企業で働く人たちの労働力を購入することであり、自分の代わりに労働してもらって配当(給料)を期待することであるため、ギャンブルとは一線を画します。
労働者がいるから経済は回り資本家は富む
さて、人間の労働力がお金で代替できることがわかりました。
しかし、みんながこの事実に気づきせっせと株を買い始めたら、労働する人がいなくなってしまって経済が回らなくなり、資本主義は崩壊してしまうかもしれません。
実際はというと、この事実に若くして気付いて行動に移す人は少ないため、経済的自由を手に入れるほどの資産を労働期に築ける人はマイノリティーであり、60歳以下の殆どの男性は労働者として勤めているのです。
このことにより、大きな金融資産をもつ資本家は株を大量に保有することでフリーランチを得ることが出来ているのです。それにより、資本家は益々富み、ピケティが言うように格差はより一層助長されていくのです。
ただし、資本家になりたければ誰でもなれるような環境は揃っておりますし、情報もネットで無料で得ることができますし、「株式投資の未来」などの超有用な書籍も数千円で手に入ります。
従って、多くの場合貧乏なのはその人自身の責任であると言えてしまいますし、ゼロから資本家になった人はそれ相応の思考とリスクのある行動をしたからであるということになり、所謂自己責任論に帰結してしまいます。
かく言う私は未だ経済的自由からは程遠く、資産形成もまだまだこれからという段階ですが、そのような状況であるのはやはり私の自己責任(怠惰が原因)であると考えてます。
まとめ
以上、労働についてちょっと真面目に考えてみたことをつらつらと書き綴ってみました。
本記事の内容はあくまで私個人の考え方であり、一つのオピニオンです。
また、本記事ではメインテーマではないため触れませんでしたが、十分な金融資本を築くまでには十年単位の年月が必要であり、その間なんの喜びもなくお金のためにひたすら我慢して働き続けるというのは非常にナンセンスだと考えております。
そこで、本多静六氏の教えでもある「職業の道楽化」が最高のライフハック法だと考えております。
職業を趣味だと思い込んでしまえば、やがてそのようになってくるし、嫌な仕事も楽しい部分を探しながらやるようになるし、結果として精も出すから上達しやすくなり、成果が出るようになり、評価されるようになり、出世するようになり、お金も沢山もらえるようになり、楽しくもなるというプラスのスパイラルに入れるという教えです。本多静六氏の教えについて、詳しくは以下の記事をお読みください。
何か一つでもお読みくださった方の参考やお役に立てれば幸甚です。
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