「最も貴重なリソース(資源)は何ですか?」
このような質問を問いかけられたとき、あなたならどう答えるでしょうか?
私なら「今のところは時間です」と答えます。
「今のところ」というのは、老化や寿命が科学技術的に克服されていない現段階では、という意味です。(つまり、老化や寿命はテクノロジーの発展により遠くない将来に克服されると考えてます)
経済的自由を渇望するあまり、お金を得ては投資にあくせくしている私ですが、お金と時間とどちらが重要かと言われれば「時間」となります。なぜ経済的自由を求めているかというと、「人生全体での幸福の最大化」が目的であり、そのために必要なものは「圧倒的自由時間」だからです。
投資家の方であれば「お金>時間」と考えがちだと思いますが、本記事ではここについて掘り下げて考えてみたいと思います。
人生の目的は何ですか?
突然ですが、人間が生きる目的は何でしょうか?
生物学的には遺伝子を残すこと、物理学的には宇宙のエントロピーをなるべく増加させて宇宙全体(地球の生命体なら地球内ですが広義では宇宙になります)を均一化させるためだと考えられます。後者はあくまで個人的見解です。
これらのことからわかることは、人生の目的なんて明確に定まってはいないということです。
生物学的には遺伝子を残すことが目的だとしても、衝動や反射・反応を克服する大脳新皮質と前頭前野を獲得した人間であれば、それにあえて背く理性も持ち合わせています。また、エントロピーの増大に関しては、無駄にあがけばあがくほどその目的に寄与することができ、かつあがき方は自由ですから制約はありません。(何言ってるかわからなければ読み飛ばしてください(^^;))
つまり、人間は「目的」の前に自由です。あなたもわたしも人生に目的なんて形而上的に与えられてはおりません。ただ、勝手に世間様や常識殿などの外部因子の制約が講釈宣われるだけのことであり、ゼロベースで考えれば与えられた人生の目的などありません。
あなたはどう生きてもよいのです。自分の中で「こうしなきゃいけない」、「あれをやってはいけない」などという考えは幻想にすぎません。
21世紀の日本に生まれたという制約条件があるため、現実的には法律を犯せばそれ相応の罰と不自由を与えられるので法は守るべきです(言うまでもないですが)。しかし、世間様が宣うところの「大人は働かなければならない」とか、「いい大学を出て大企業に勤めて家族を養うのが幸せの形」とか、「ニート(笑)」といった価値観は極論を言えば幻想にすぎません。時代と場所が違えば常識的価値観は簡単に覆ります。
あなたは、人生の目的の前で自由です。つまり、自分で人生の目的を定めてもいいし、目的を持たなくてもいいのです。
夢や目標を持たない人を悪く言う風潮が世の中にはあり、それを持たないことを恥じる気持ちがある人も多いと思いますが、この「風潮」も「常識」に盲目的な人たちの集団心理が作り出す虚像にすぎません。もっと言うと、食べ方の「作法」や社交界での「マナー」を他人に押し付けることで優越感を感じる貴婦人同様、選民意識を満たすための価値観の押し付けにすぎません。
手帳がビッシリと埋まってないと不安や引け目を感じる人もいるでしょうが、「忙しいこと=正義」、「暇=悪」という幻想であり、義務教育で植え付けられた洗脳にすぎません。忙しい自慢をするような優秀なサラリーマン(社畜)を生み出すのに都合の良い価値観ですね。
話が大分脱線したので元に戻すと、人生の目的は自分で選べますので、常識に流されずに自分で好きにカスタマイズすれば良いのです。
私の場合は月並みですが「幸福感をなるべく増やすこと」が人生の目的です。これは、きっと多くの人に当てはまると思います。幸福と不幸を選べる条件で不幸を選ぶ人はまれでしょう。イギリスの功利主義者ベンサムの「最大多数の最大幸福」という言葉が思い出されますね。
「幸福の最大化」に必要なものとは?
さて、それでは幸福感をより多く得るために、具体的に何をすれば良いでしょうか?ドーパミンやセロトニン、オキシトシンをはじめとした脳内の幸福ホルモンを増やせば良いですね。そのためには二つの手段があります。
一つ目は、幸福感が得られる行動をするということです。
幸福感を得られる行動とは、例えば美味しいものを食べたり、家族と談笑したり、映画を見たり、ゲームをしたり、本を読んだり、新しいことを学んだり、クリエイティブな活動をしてみたり、ブログを書いてみたり(!!)、好きなだけ寝たり、子供と遊んだり、運動したり、思索にふけってみたり、山に登ってみたり、好きなことを仕事にしてみたり、、
キリがありませんが、要は「その時にしたいと思った行動」となります。
幸福ホルモンを増やす二つ目の方法は、幸福感を下げる行動を減らすということです。
幸福度を下げる行動とは、だれかに命令されたり、意味が無いと思っていることをやらされたり、やりたくもないことをやらされたり、理不尽な目にあったり、嫌いな人と同じ空間に居たり、愛想笑いをしながら人間関係を維持したり、、
はい、雇われ労働ですね(笑)
仕事が与えてくれる幸福感もありますが、多くの場合には幸福感を下げることの方がトータルで見ると多いのではないでしょうか。少なくとも私の場合はそうなります。
二つ目の方は雇われ労働を辞めれば良いのでこれが最終目標になります。
一方、一つ目の「幸福感が得られる行為」に必要なリソースは何でしょうか?
ざっくりというと、「時間」と「お金」と「健康な体」ですね。誰かと一緒に何か行う際は、他人が必要になりますが、ケースバイケースなのでここでは除きます。
ここで、健康な体を有している多くの社会人の場合には、時間とお金がキーファクターとなります。
では、時間とお金はどちらがより重要な根源的な階層の概念でしょうか?
(ようやく本記事のメインである時間が登場しました。。)
全てのリソースは「時間」の媒介物である
時間とお金、どちらが根源的なものでありかつ貴重なものでしょうか?
結論から言うと、より根源的なものは「時間」です。何故なら、お金とは時間を含む価値の媒介物でしかないからです。
お金を稼ぐには、一般的には「労働力」が必要となります。労働市場にて労働力を提供することで、お金が得られます。労働力とは労働時間の他にスキルや集中力、精神力などというものを含みますが、基本的にはご飯を食べて寝て起きれば再生産できるものであるため、「労働力≒時間」と考えられます。
以上を換言すると、お金は時間が形を変えたものと言えます。
さて、投資家として「時間」を見てみましょう。投資において最も重要なものの一つとして、投資による「複利効果」があります。これは、株式市場などのプラスサムの市場に資産を置いておけば時間の経過と共に長期的に均して見れば指数関数的に増加していくというものです。
株式投資等により高い確率で資産を増加させられますが、これに必要なのも「時間」です。投資をなるべく早く始めるべきとよく言われる理由は、このように年利数%の複利運用による資産形成には多くの時間がかかるからですね。これもある意味ではお金と時間の変換事象の一つです。
また、お金を使うことによって時間を節約できます。例えば、家で自炊するのには料理や食器洗いなどの時間がかかりますが、外食したりお弁当を買うことでこの時間が節約できます。食洗器やルンバやドラム式洗濯乾燥機などの時短家電を買えば、家事の時間を節約できます(私は全部持ってます)。お金が時間の媒介物であるという典型例ですね。
しかし、どんなにお金を使って時間を節約できても、時間を増やすことは出来ません。時間に対してお金ができることは、時間を節約することまでです。お金は時と共にいくらでも増やすことが出来る可能性がありますが、人間の健康寿命は現在のところ限られており、お金によりいくらでも増やすということはできません。
従って、根源的な価値としては、「時間>お金」となります。
では次に、健康な体はどうでしょうか?
健康度の絶対値は人により異なりますが、特定の個人の中での相対値を考えると、基本的には人間は時間と共に老いていき、健康が失われていく定めにあります。
つまり、現在の科学技術レベルでは健康も経過時間のファクターが支配的です。従って、若ければ若いほど健康な体を有しているため、健康も時間が形を変えたものであり時間に対して不可逆であると考えられます。
脳の健康状態、即ち知能も総合的には「時間」とともに劣化します。一部の脳機能は60代でピークを迎えるとも言われますが、前述した人間を人間たらしめる前頭前野の活動レベルは老齢期には残念ながら衰えるのが一般的です。
ただし、脳には変化する性質(可塑性)があり、また何歳であっても運動や瞑想等により新生ニューロンが生み出せるという研究結果がありますが、一般論としては知能や思考力は老化に伴って衰えます。
以上から、何かを行う際の全てのリソースは究極的には時間であると考えられます。
まとめ
人生とお金と時間について、とりとめもなく書き綴ってみました。
お金が少ない若年期の内は、価値の大きさが「お金>時間」と考えがちですが、究極的には「お金<時間」となります。
その理由は、時間でお金を増やすことは原理的にはいくらでも可能ですが、お金は時間の媒介物でしかなく、お金で時間を節約することはできても時間を増やすことはいくら大金を積もうが不可能であるという非対称性(時間の不可逆性)があるからです。
そして、逆説的ですが時間が貴重だからこそ私は現在お金を増やすことに力を注いでおります。何故なら、人生のなるべく早い段階で大金を貯めて経済的自由が実現出来れば、それ以降は労働に一日の半分以上を捧げるという愚にもつかない奴隷行動(幸福度を下げる行為)を卒業して「圧倒的自由時間」を人生の目的である幸福の最大化のために注ぎ込めるからです。
一定期間のみに限定して時間をなるべく多くのお金に換えることに注力し、それで得たお金を株式に換えることにより株式市場でお金を膨らませて、十分に膨らんだ暁にはその後必要であったはずの労働時間をお金で買う。
厳密に言うと、保守的に想定したお金が膨らむ増大速度が生活費による消費速度を上回れば、働かずとも投資により半永久的に資産が増えていく。ここまでくれば、限られた人生の時間の中で何をするも自由となる。
これこそが、FIRE(Financial Independence, Retire Early)の考え方の神髄です。
なお、一時的に労働により人生の時間を犠牲にするといいつつも、その生活の中でも最大幸福を追求することが重要であることを念のため補足しておきます。トレードオフの関係があるからといって、常に0か1かという二元論に終始するというわけではありませんからね。
本記事には投資家の方々にとって直接的なメリットを得られる情報は無かったと思いますが、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
以下、関連記事です。
時喰い虫である労働について以下の記事で思索しました。我ながら歪んだ労働観です。。
雇われ労働がなぜ奴隷労働の様相を呈するのか、それは『資本論』を著したカール・マルクスが示したように、給料が「労働の再生産コスト」を基準に与えられるからでしょう。
本記事でも登場したFIRE(経済的自由)への熱き思いを以下の記事にぶちまけております(笑)
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