特に学生さんは、時間がたっぷりあってもお金が無いという方が多いでしょう。
そんな中であっても、バイトをしてなけなしの銭を貯めて、海外へ貧乏旅行に行くことをおすすめします。
何故なら、東南アジアなどへの貧乏旅行は価値観の相対性を身をもって体験できるだけでなく、お金の価値についても否応もなく考えさせられるため、結果として投資の真価に気付くきっかけになりうるからです。
これをお読みの学生の子を持つ親御さんには、子供を東南アジア諸国への旅行に行かせてあげてほしいと思います。
少なくとも私は、バイトもろくにしない奨学金頼みの貧乏学生時代に五回ほど東南アジアを中心に貧乏旅行をすることで、価値観の変化など多くを得ることが出来ました。
本記事ではその理由について説明します。
何故若いうちが良いのか?
若いうちに海外旅行した方が良い理由は、若い方が多感であるため価値観の変容が容易に起こり得るからです。(読書による効用も同様です)
海外旅行をすると身をもってわかることですが、世の中のお金やモノの価値というのは相対的なものです。このモノやサービスの価値、ひいては価値尺度であるお金(通貨)の価値そのものが国家により全然違うということは、特に人格形成期にこそ知るべき価値観だと思います。閉じた物理的空間・情報空間のみに居てはこのことに気づきにくいですが、人種も文化も全く異なる場に行くことで価値の相対性に否応もなく気づかされます。
同様のことが学問でも言えます。私は大学で物理を専攻したのですが、相対性理論について学んだのは20歳の頃でした。相対性理論とは、誤解を恐れずに平たく言うと、物質の重さや動く速さ、時間の進み方など私生活においては絶対的な尺度があると思っているようなものが実は相対的なものであり、絶対的な尺度ではないという理論です。
例えば、物凄く速く動くモノは静止している状態よりも質量が大きくなり、かつ時間の進みは静止時に比べて遅くなるということが理論的にも実験的にも示されております。この理論を生み出したアインシュタインの発想の柔軟さはとても同じ人間とは思えませんね。。
この相対性理論は、若ければ若いほど受け入れやすい理論だと思います。数式や難解な理論は置いといて、上記の内容を平易な言葉で説明されれば、子供はそういうものなんだなぁと飲み込みやすいでしょう。これが、固定観念がガチガチにこびりついた大人になるとそうはいかなくなります。
やれ実感が伴わないだの、この式のこの項が理解できないだの、なんやかやと理由をつけて今までの考え方を否定するような価値観を受け入れるのを拒むようになります。
世の中には絶対的な尺度が存在する。モノの質量は動こうが動くまいが変わらない。速度によって時間の進み方が変わるなど言語道断。このような凝り固まった考え方になる前に、世の尺度の相対性を脳内にインストールしておくことは、その後の人生(特に行き詰ったときや八方塞がりなとき)に活路を見出す上で逃げ道を与えてくれることになると思います。
何故東南アジアで貧乏旅行が良いのか?
何故東南アジアでの貧乏旅行がよいのか?その理由は、物価が安い国に行くと単純にお得であることと、その経験を通して上述した価値観の転換が図れるからです。また、色々とカオスであるため、こうでなければいけないという日本の規律教育による洗脳を幾ばくか解くことができ、多様性を受け入れやすくなります。
こうであるべきだと定められたあらゆる価値観など人(主に為政者)が作ったものであり、究極的には人間は好きなように生きればよいのです。このようなことが、カオス度が高めな多様な文化に触れることで自然と身に付きます。
私はいわゆる中流階級の家に生まれたので家族で海外旅行をするような家計的な余裕は無く、未成年のうちに海外に行く機会は得られませんでした。私が初めて海外に行ったのは大学三年生の時で、大学時代に出会った数少ない気の合う友人とタイに行きました。
そこでは、タクシーのようなトゥクトゥクという乗り物に300円ぐらいで乗れて、500円もあればビールをたらふく飲むことができました。服やカバンなどのブランド品も、同じ商品であるにも関わらず日本で買う価格よりもずっと安かったものが散見されました。
ホテルは、一泊3500円も出せば大型プールとスポーツジムが付いた三ツ星ホテルに泊まれました。レストランに行けば、1500円も出せば大きなシュリンプが使われた美味しい料理とお酒を頂くことができ、ギターの弾き語りやジャズ、ロックバンドの演奏や麗しき美女たちによるフラダンスを堪能できました。
外を歩くと主要道路沿いは露店であふれており、そこではプリントTシャツが200円、クロックスが300円ぐらいで手に入り、地元民も使うような屋台だと150円でお腹いっぱい食べることができました。味付けは現地向けであるため決して美味しいとは言えませんでしたが、生きていくだけなら年間100万円もあれば十分だなと思ったのを覚えております。
同時に、一つ路地を外れると手や足を失った方が物乞いしている様子も見られました。物乞いは現地のヤクザが元締めしているという話や、ここでは書けないようなあまりにも残酷な話も聞きました。この経験は、資本主義の残酷な本質について考える契機になりました。
インデックス投資、それは世界経済と共に生きるということ
本ブログでは基本的に株式インデックス投資を推奨しております。
株式インデックス投資とは、個々の企業ではなく数千、数万という分散の効いた市場全体にベットすることです。これが意味することは、株式インデックス投資家は世界経済と共に生きるということです。
景気には波があります。その波は、単純な原因から生まれるものではありません。市場に参加する人たち(AIや機関投資家含む)の意識の総意がチャートとなります。予測不可能なまさにカオス的事象です。
このようなカオスな市場では、どう考えても上がるはずだと思っても下がることが多々あります。また、ここまでしか下がらないはずだと思っても更に下がるようなことも起こります。未曽有の大恐慌も起こりえます。
短期的に見てこうでなければならないという価値観は通用しません。ミクロ的視点では株式市場はカオスだからです。このようなゲームで必要なことは、ごくわずかな本質的な知識です。そのうちの一つは、株式市場の価値は長期的(マクロ的視点)に見たら右肩上がりであり、平均回帰の法則が発動してきたという事実です。
上がろうが下がろうが、暴騰しようが暴落しようが、超長期的には右肩上がりであるという事実。
我々個人投資家は虎の子である資産を株式市場に投下しているため、日々の値動きがどうしても気になってしまいます。しかし、相対性の観点からいけば、暴落したとしてもそれは相対的に株式市場から資金が引き下がっているだけであり、株式市場における相対的な自身のシェア(枚数)は変わりません。やがて相場観が良くなれば流れ出た資金は還流してくることがわかります。
世界経済と共に生きる。世界経済は人口増加と人類の労働の集積により右肩上がりに上昇していくと考え、善き日も悪しき日も世界経済の市場に資産を揺蕩わせる。
このような考えに基づく行いが、私も全力で行っているインデックス投資であり、この相対性を受け入れる価値観を作り出すのに寄与する行為が、若いうちに物価の異なるカオスな国への貧乏旅行なのだと思います。
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